新訳ニイルのおバカさん―A・S・ニイル自伝

2024年2月5日教育,A.S.ニイル,サマーヒル・スクール,堀 真一郎,読書ログ

「困難を克服している時こそ人生でいちばん充実した時期である」
「自分が他人にどのように見えるかなど、どうでもよいことだが、それに気づくのにはけっこう長い時間がかかるものだ。」

私はこの書物で、なぜ支配者たちが子どもたちから生き生きとした生命力を奪おうとするのか明らかにしたい。だが、大多数の教師は、自分たちのおこなっている訓練や「性格の鋳造」の背後に何があるのかを理解できないし、また、たいていの教師はそれを知るのを恐れている。訓練による教育は易しい。「気をつけ、休めッ」学校も軍隊もこのように号令をかけて整列させている。言うことをきけ、言うことをきけ、と教師は生徒にいう。しかし、対等な人の言うことをきくということはありえない。言うことをきいて従うのは、自分よりも力を持っている人に対してである。こういう服従には恐怖という感情が含まれている。そして、恐怖こそは、絶対に学校に持ち込んではならない感情である。悲しむべきことは、恐怖が教師の側にも存在するということだ。生徒から教師も普通の人間だと思われるのを怖れている。つまり、生徒から心のやさしい人物だと思われることを恐れ、子どもたちの不思議な直観力によって自分の本当の姿を見抜かれるのを恐れているのだ。
私ももう間もなく「この浮き世のわずらわしさ」から解放されなければならない。しかし、来たるべき世代の人々が、われわれの時代の教育を振り返った時、そのあまりの野蛮さ、人間に秘められた可能性の破壊、授業に対する異常な執着などを見て、驚き、あきれるような、そんな時代が早く来てほしいものだと思う。

犯罪やノイローゼを生み出しているのは、抑圧的な社会体制とスラム街の貧困と利潤追求に目のくらんだ産業社会とであるということを、将来の人々が見抜かないなどということがありえようか。

私は、過ぎ去った日々を思い出して感傷にひたるということが少ない人間だ。これはきっといいことなのだろう。過去にさかのぼって幸せな気分になるのは、現在に満足していないからであろう。一方、未来にばかり思いを馳せるのも、死後の至福に期待するのと同じように、間違った生き方である。

よく新聞などで「財産を失って自殺」などと報じられるが、私には信じられない。そもそも富や財産は、それがあまり重要な意味を持たなくなった晩年になって初めて手に入るものだ。父のいちばん下の弟など、それこそいつも一文無しだったのに、いつだって陽気であった。父のペシミズムは、人生に対する異常な恐怖と、それまでに味わった失望感から生まれたのに違いないと私は思う。その恐怖がどのようにして生じたのかはわからない。しかし、私たち子どもにかけた父の野心は、父自身の満たされなかった野心の転移であったのはたしかである。

問題を起こした子どもたちのための公立の施設が、自由と理解を重視する方向へ変わったというわけでもない。こういう施設では、刑罰、従順の要求、きびしいしつけ、そしてお説教など、要するに非行少年たちを非行に走らせる原因となった有害な方法をすべて使って彼らの矯正につとめている。これが現状だ。

子どもに対して条件づけがおこなわれるかぎり、自由意思などというものはあり得ない。なるほど、ごく少数の者は自由に選択できるようになり社会の現体制に挑戦するようになるかもしれない。しかし、われわれのほとんどを占める多数派の人間は、既成支配体制によって型にはめられ、その対象はなんであれ、挑戦する意思を失ってしまう。

私は長いあいだ 「人間の本性は善である」という福音を説いてきた。これは憎しみでいっぱいの子どもでも、自由であることを許されれば愛すべき存在に変わる、という事実を確認していっそう強くなった信念である。

新訳ニイルのおバカさん―A・S・ニイル自伝

本の内容

反権威主義教育にみずからの道を見いだし、全世界の子どもたちの味方として,サマーヒル学園とともに生きた20世紀最大の教育実践家A.S.ニイルの自叙伝。訳者は,きのくに子どもの村学園長。

サマーヒル・スクール

「世界で一番自由な学校」。サマーヒル・スクールは、1921年に創立。「子どもたちは強制よりも自由を与えることで最もよく学ぶ」という哲学により、大きな影響を世界の進歩主義の教育に影響を与えた学校として知られている。すべての授業が選択で、生徒たちは自分たちの時間で何をするのも本人の自由に任されている。

夢みる小学校の舞台になった、きのくに子どもの村学園小学校の堀さんは実際にニイルに会い、ニイルが亡くなった後もサマーヒルを何度も訪れ、学校の在り方を根本から問い直したと言われています。